2014年9月30日新大阪岳風会中部地区吟行会

2014年9月30日新大阪岳風会中部地区吟行会

田ステ(捨女)記念館
寛永10(1633) 丹波国氷上郡柏原に、田助右衛門秀繁の長女として生
まれる。
寛永15(1638) 6歳 初めて句を詠む(衆人、驚嘆する)
                  「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」
寛永20(1643) 11斎  「一升や 九月九日 使い菊」  の句を残す。
慶安 3(1650) 18歳 父 秀繁 代官となる。 藩候が無理な注文をした
                 「仰せなら 岩を袴にぬいたつに沖の真砂を 糸によりけり」
             藩候 「柏原に おしや捨て置く 霞かな」 
※ 正岡子規ー元禄四俳女として、捨女を燕子花・智月尼を蓮花・秋色女を撫子・園女を紫陽花と擬している。  

篠山市=篠山城 大書院庭にて記念写真 

篠山城跡 天守閣は城の完成を急いだことと実践むきの城としたため築かれませんでしたが、二の丸には大書院に代表される御殿が立てられました

晴天に恵まれた一日、お世話いただいた太田岳実地区長、役員の皆さまありがとうございました。昼食時の「秋の味覚御膳は美味満腹でした。お疲れさまでした。またの再開を楽しみにしております。

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